障害年金

わたしは10年くらい前に障害年金を支給されることが決まりました。

手続きは主に妻が行いました。
最寄りの年金センターで窓口の担当者に相談しながら行ったようです。

まず最初は「病歴・就労状況等申立書」の作成です。
一番大事なのは初診日です。
わたしの場合は発症してから25年くらい経っていたので、初診の病院に資料が残っていませんでした。
これに対しては記録が残っていないことを証明する文書で対応しました。

初診時に会社で働いていた(厚生年金が給与から控除されていた)のを証明することが大切です。

次に通院歴を記入します。
記憶を頼りに記入しますが、履歴書を書くように整合性を取って書いて行きます。
ここが一番時間がかかりました。

病院の診察券やできれば領収書などがあれば思いだすことが可能です。

次にここが特に大切だと聞いていますが、就労状況・日常生活状況を記入します。
日常生活にどの程度支障があるかを記入します。
「4」(できない)が多いほど重症と見なされます。

書類を提出後、3ヶ月くらいで支給の通知と年金証書が届きました。
わたしは厚生3級になりました。
2ヶ月に一度、10万円くらいの額が支給されました。

当時は契約社員の給与しかなかったので家計が楽になりました。

このときは自分で手続きを行いましたが、社労士などに頼んだ方がより簡単で間違いが無いと思います。
(ただし社労士には報酬として支給された初回の金額を払うことになりますが。)

 

 

薬について

わたしは病気になってから様々な薬を飲んでいます。

1.統合失調症の薬

リスパダール
エビリファイ

2.1の薬の副作用止め

タスモリン
アキネトン

3.陰性症状対策

ドグマチール
パキシル

これらの他に高血圧や高尿酸症の薬など毎朝7錠の薬を飲んでいます。
特に1の薬ですが、わたしはリスパダールが合っているようです。
飲み始めは頭がぼーっとしたり光がまぶしかったりしてとても飲み続けられないと思ったものですが、20年間飲み続けるうちに慣れてきました。
(今ではぼーっとしている状態がデフォルトです。)

ある病院でエビリファイに変えられたのですが、すぐに陽性症状が出てそれ以前に通っていた病院に駆け込みました
それ以来、薬を変えるのにはとても慎重になりました。
副作用はあるものの今の服薬をなるべく変えないようにしています

障害者雇用

わたしは10年前から障害者雇用で働いています。

それ以前はクローズ(障害を隠して)で働いていました。
薬をきちんと飲んでいたので病気の再発は1回しかありませんでした。
(その1回は薬を変えたことにより発病したものです。)

49歳になり仕事が全く見つからず、藁にもすがる気持ちで障害者の求人に応募しました。
運よくある会社に採用されました。

社内システム部門でのキッティングの仕事でした。
仕事の性質上若手が行うことが多い仕事です。
その後2社転職しましたが、いずれも同じような仕事でした。

障害者雇用に応募するときは以下のようなことに気をつけていました。

・仕事内容
・通勤時間
・残業の有無

今の職場も含めて、統合失調症についてきちんと知っている上司がいた会社はありませんでした。
とにかく会社を休まない、仕事は期日までにきちんと仕上げるということに気をつけて働いていました。
外的な環境のため会社の売上が落ちた時に2回雇止めに会いました

ですからどの会社にいた時でもいつも、また就職活動に入ることを覚悟しながら働いていました。

オープンで働いていた時はどの職場でも特別な配慮は感じませんでした。
強いて言えば残業をしなくても何も言われなかったことでしょうか

現在働いている職場でも残業は無く、仕事も重いものは回ってきません。
身分は契約社員で半年ごとに更新があります。
(更新の時期には胃が痛くなります。)
通勤時間も1時間くらいでクローズで働いていたころよりも楽です

通勤についてはこの半年くらい前から不安障害を発症するようになりました。
鉄道が事故や天候などで乱れた時に駅のホームに人があふれかえりますが、そのような場所にいると不安になり息ができなくなります。
まだ会社にはそのようなことは相談していません。
就労支援センターの担当者に相談したら、センターから言ってもよいけれども発症の頻度が低いのでおおごとにしない方が良いかもしれないと言われました。

この3月に契約更新がありますが、不利な材料を出してよいものか迷っています。

多分、会社には言わないと思います。

最相葉月の本

最相葉月「セラピスト」を読みました。

河合隼雄箱庭療法に多くのページが割かれていました。
そこで中井久夫風景構成法が紹介されていました。

わたしは年に一度、行きつけの病院で心理検査を受けています。
そこで使われていたのが風景構成法だったのだと知りました。

まず川を描くのですが、私の場合は紙面左側から右側下方にむかう川を描きました。
紙面左側が過去、右側は未来を表しているそうですが、わたしは左側に家や人を描き、右側に山や田んぼを描きました。
(その間を川が流れています。)
川には橋を架ける人がいるそうですが、わたしはそのような発想はまったくありませんでした。

過去と未来の断絶を表しているのでしょうか。

診断は「だんだん改善してきている」とのことですが、わたしにはよくわかりません。
もう10年くらい検査を通してわたしを見ている先生なので何か感じるものがあるのだろうと思います。

自明性の喪失

わたしは統合失調症は「自明性の喪失」の病だと思っています。

わたしが何かを行うと「それはダメだよ。」などという批判の声が聞こえてきます。
ある時は同席していた元妻に「今誰かの声がした?」と聞きました。
声は聞こえないという返事に幻聴だったんだなと納得しました。
ですからわたしは(特に否定的な)言葉が聞こえてきたら幻聴かもしれない、と判断を保留するようにしています。

本当に言われているのかもしれませんが、その言葉に振り回されるよりはましです。

そう考えるようになってから、病状ははっきり安定してきました。

最近わたしは幻覚だと思える出来事に数回遭遇しました。
ある時、就労支援センターの面談に予約して行ったら、事務所が閉まっていました。
チャイムを押しても返事がありません。
窓の中は真っ暗で人のいる気配がありませんでした。
わたしはあきらめて帰宅したのですが、帰宅時に就労支援センターの担当者から電話がかかってきました。
「待っているがどうしているのか?」という内容でした。

後日、就労支援センターに行った時に、入口を見直したら、私が見た窓の形と違います。
他のフロアを見てみたのですが、見たような入口はありませんでした。

このように自分の認識が信じられなくなるようなことが何回もありました。
認識そのものが自明ではない時にどのように対処したら良いでしょうか。

わたしは判断を保留するのが良いと思っています。
因果関係が明らかな認識の場合は信じても良いと思いますが、あいまいな認識は虚実の判断をいったん棚上げしておきます。
世の中にはわからないものもあるのだ、という態度が必要だと思います。

このような認識は人間の能力の限界に疑問を投げかけるものです。
世界は人間だけのためにあるのではないのですから、「謙虚な」認識が大切だと思うようになりました。

統合失調症(2)

2001年の冬のある日、眠っていたら突然お坊さん達がお経を読む声が聞こえてきました。

わたしの部屋の窓から見える別の部屋から聞こえているようでした。

そこには女教祖がいてわたしを気に入っているようでした。

時間の感覚が無かったのですが、夜に起こったことのようです。

その時住んでいた町は皆テレパシーの持ち主で、お互い考えていることがわかってしまう世界でした。

わたしは考えていることが漏れないように「耳をふさぐ、耳をふさぐ」と叫びながら部屋のものを段ボール箱に入れていました。

 

そんな中で一瞬正気になった瞬間がありました。

その時に主治医の元に行こうと思いつきました。

 

主治医はわたしの様子を見てリスパダールを処方しました。

初めて薬を飲んだときは朝起きると声が出なくなっていました。

(その後、声は出るようになりました。)

わたしは実家に連絡しました。

すると母がやってきてわたしの部屋を引き払って実家に連れ戻しました。

それから半年間、わたしは療養しました。

とにかく薬を飲んで眠ってばかりいました。

 

半年が経った頃にやっと陽性症状が治まってきました。

わたしは元妻とよりを戻したくて妻のものとなったマンションに住みながら仕事を探しました。

 

それから8年間はフリーランスとして仕事をしていました。

幻聴はありましたが、まだ頑張れる年代だったので必死で働きました。

その頃の話はまた別の機会に書きます。

 

統合失調症(1)

わたしが最初に発症したのは19年前のことです。

発症というのは陽性症状が出たということです。

それ以前から、わたしへの悪口が聞こえる、とか視線が怖いなどといった症状があり、服薬していました。

 

19年前、わたしは会社を辞めてフリーランスになり、同じ頃に離婚して家を手放しました。

仕事探しや引っ越しといったストレスが引き金になったのでしょうか、何よりも経済的に行き詰まっていました。

そんな中である日突然発症したのです。

(続く)